My life is my message.

とりとめのないことばかり。

Burnout and Memories in Vancouver

5月、カナダから帰国して燃え尽き症候群を患っていた。

といっても、何か目に見える成果を上げたわけではないから不思議だ。

毎日6時には起きて、語学学校で授業を受け、課題をこなし、ご飯を食べて、YouTubeTwitterを見て、寝る。

そんな日々が延々に続くのだと思っていた。

授業が終わってダウンタウンを散策したり、クラスメートとランチをしたり。

最初の頃は常に一人行動だったから慣れてしまって、仲の良い子が出来てからも本屋や博物館には一人で行った。

地元とはかけ離れた高層ビルが並ぶ都会の街が、私の住処だった。

この時期のバンクーバーは雨季のためレインクーバーと呼ばれ、太陽の恩恵を受けられる日は非常に少ない。

私の滞在していたサレーから1時間ほど離れたホワイトロックでは、晴れの日に美しい夕焼けを見ることができる。

海辺

 

初めてこの場所に立った時、何故もっと早く訪れなかったのかと強く後悔した。

橋の上からの景色

 

ブリティッシュコロンビア州の凄いところはバンクーバーから少し足を伸ばせば海、湖、森林といった豊かな自然に触れられるところだと思う。

インドア派の私が雨の日には晴れが恋しくなるほど都会と自然環境が共存するバンクーバー、ひいてはBC州は素晴らしい場所だった。

生活するにはいささか物価が高すぎるが、それでもこの地を留学先に選んで良かった。

 

向上心と将来への不安を同じように抱えた同年代の子たち。

就職や結婚を経験した、人生の先輩と言える社会人。

多種多様な背景、経験を持つクラスメートたちと語学学校で出会えたことも大きかった。

そして当初居心地の悪さに何度も逃げ出したいと思っていた(実際ギリギリ両手で収まるくらいの数は欠席している)教室が、三ヶ月後には心地良い居場所に変化するとは夢にも思わなかった。

 

「やっぱり英語(言語)好きだなあ~」というのが、留学を終えた所感だ。

語学学校ではしばしば自分の母語について聞かれたり、教えたりする機会が多かった。

日本語には3つの表記体系(正確にはローマ字含めて4つ)があると説明した時のクラスメートたちの困惑は何度思い返しても面白いし、反対に私もたくさんの言葉を友人たちから教えてもらい、異なる言語に触れて大いに刺激を受けた。

移民の多いカナダでは語学学校の外でも様々な言語がひしめき合う。

その空間自体、私はとても気に入っていた。

 

沢山の人に支えてもらって念願の留学を叶えたのに、長い夢を見ていたのではないかと今もまだ疑っている。

帰国の前日まで語学学校で使用していた教科書は自室の本棚に鎮座していた。

日々英語に触れてはいるが、カナダにいた頃とは比較にもならない。

置かれた場所のせいにはできない。だからどうにかモチベーションを上げようと、留学を振り返って一丁前に文章を書いている。

時折、カナダでの生活が恋しい。

そう嘆いたところで何も変わりはしないのだが、三ヶ月はそう思わせるくらい濃密な時間だった。

私の経験や感じたことは唯一無二のもので、誰にも干渉されることはない。

地面に寝転ぶホームレス、鼻につくマリファナの匂い、負の遺産とされる文化的ジェノサイド、トルドー首相への抗議デモ。

多国籍国家、あらゆるマイノリティに寛容な国という表面的なイメージを覆すものと向き合うきっかけも得た。

その度に何ができるだろう、と立ち止まって考えてしまう。

日本にいる時ですら日々自分の無力さを実感するというのに、大層な試みだ。

見つからない答えを、確かな痛みを感じながらずっと探している。